幸田露伴『露伴随筆集(下)』(初版1993岩波文庫)に「音幻論」という文章がある。本文の365ページのうち140ページを占めるもので、もう一つの長論文「普通文章論」と並んで、この本の主軸を占めるものである。
音幻論と言うのは「言語が金石に彫刻したもののようにそのまま永存するものでないのは、あたかも幻相が時々刻々に変換遷移するものであるごとく生きて動くものである。」(241ページ)。つまり、文字に書かれた言語が実際にはどのように発音されるかということを、さまざまな例を取り上げて論じているのである。
長い論文なのでたくさんの実例が上がっているが、その中から、「アイウエオ」の発声と発音についての部分を紹介しておこう。露伴が基本としているのは日本の伝統的な発声法である。
「アイウエオの五つの韵について言って見ると、これらは喉を大きく開いて明け放しで出てくる音であるが、」(242ページ)――露伴の発声論では喉音(こうおん)の力を基本としている。現代の発声では、喉の力が失われているが伝統的な発声では不可欠な技術である。
現代の発音法では口のかたちを重視する。ところが、露伴はアイウエオの発音においても喉の力を問題にするのである。それが上の引用に続けて書かれている。注目すべき表現を太字にしておく。
「
アの韵は全開であって円・放・散であり、
イの韵になると全開ではなく牙を噛むというではないが、
いくらか噛む気味があり、外へ向かって縦衝するような、鋭いような気味がある。
ウの韵になると全開でないのではないが
斂めるような、塞ぐような、イのように衝くという所がなく均すような気味がある。
エの韵になると
横排する気味で従衝するのではない。
オの韵にになると開くには相違ないが、
洞開するようになっている。送・応の気味がある。」(242ページ)