作品をよむおもしろさは、一回一回の味わいがちがうことだ。何回もよんでいる作品でも、よむたびに、印象的な場面や感動する部分がちがう。それまで何気なくよんでいた一文が、ある瞬間、おどろくほどあざやかな情景となって浮かび上がったりする。それが決まって、まるで予想もしない部分なのだ。それがふしぎだ。
すぐれた舞台俳優は何度も同じ舞台をつとめても、一回一回ちがった感情を味わえるのだそうだ。それと同じかもしれない。何よりも恐れるのはマンネリだ。心の動きがないのに、セリフが口からすらすらと出てきてしまう。作品をよむときには、目の前に文章の字づらが見えているのだから、なおさらコトバはすべりやすい。それこそマンネリ化した声の響きになりがちだ。
目で見た文章をしっかりと受け止めること、声とともに心をふるわせること、そして、ゆるいだ感情でまた声を響かせることが重要だ。演技よりもからだの動きが少ない分だけ、感情を増幅させる必要がある。それがうまくいったとき、一回きりのイメージの出現、そして心と感情のともなった声の響きがやってくるのだ。
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演奏とは何か?――「グールドにとって演奏はコンテストではなくて、音楽に惚れこむということである。演奏家たるものは、X氏とか、Y氏以後最大だとか、Z氏よりもずっといいとかいったふうに誉められるために演奏すべきじゃないと、グールドは信じている。演奏家は自分の以前の演奏を上回るために演奏してさえいけない。演奏家は一曲演奏することによって、一回だけのユニークな芸術作品を創造すべきで、それはその曲の特定の演奏なのである。それは作品の完全な演奏を聴衆にお届けする仕事を公約することではない。それはむしろ、ここで今、新しい芸術作品を創造する、という公約であって、それが理論上可能なものにせよ想像上のものにせよ、過去にせよ現在にせよ、その曲の他のいかなる演奏とも似てはいないものなのである。それはあたかも新しく作曲されたかのように、音楽のこの独自の展開の可能性に、精神的にかかわり合いを持つことである。」ジェフリー・ペイザント(木村英二訳)『グレン・グールド―なぜコンサートを開かないか』(1981音楽之友社)281ページ