ヘンなタイトルを付けたが、要するに、テキスト自体を朗読の台本に使える本の紹介である。
「朗読ブーム」によって、声に出して読む本というものが数多く出版されている。ところが、手に取ってみると、ただ単に活字を大きくしただけのものが多い。いや、ほとんどの本がよみやすさに置いては失格といってよいだろう。売れるわけがない。売れても、よまれないだろう。活字が大きければ読みやすいというのはまちがいである。活字が大きくなると、いろいろな問題が出てくるのだ。
第一に、一ページで目に入る文字の量が少なくなるだけで読みにくくなる。内容を理解して読み進むことができなくなる。先の見通しがつかなくなるからだ。一ページの割付けにおいては、一行の文字数と行数が問題になる。
第二に、文字が大きいと一行の文字数が少なくなる。すると、文字と文字のあいだ、行と行とのあいだも広くならざるを得ない。文章をよむことは、一文字ずつよむのではない。いくつかの文字の組み合わせを文の要素としてよみとって、さらに、文としてのつながりを判断しながら読むのである。
文字のあいだ、行のあいだが広くなると、それだけ視覚的な関連づけがしにくくなる。
第三に、紙のめくりやすさなども問題になる。大きくすると紙が固くなる。固いとめくりにくくなったりする。また、手に持って読む場合の本の重さなども問題だ。
このほかにもいろいろな問題があるが、この辺にしておく。「それでは、どんな本がいいのだ」という人がいるだろう。そこで、タイトルの「良質デザイン本」ということになる。読書ばなれが問題になったり、ネットのデジタル書籍などが無料で入手できる時代である。本の価値は、以上のようなよみやすさを備えた物にする必要がある。そんな本こそ、売れる本である。
今回の紹介は、夏目漱石『吾輩は猫である(上)(下)』(1996
偕成社)である。この作品はさまざまなかたちで出版されているが、これが声でよむための本の決定版である。活字の大きさ、文字のあいだ、行のあいだ、ルビのつけかた、改行の仕方など、どれをとってもすばらしい。今後、わたしがテキストを持って「吾輩は猫である」をよむために愛用したい。(
Blog表現よみ作品集「
夏目漱石集」)