文章を書いていて行き詰まる人には二つの接続語を使うことをすすめている。「なぜなら」と「たとえば」である。たしか、アリストテレス『修辞学』で言われていた気がする。
「なぜなら」は理由を言うこと、「たとえば」は例示である。わたしはこの二つを頻繁に使うようになってから文章を書くのが楽になった。考えを述べた文はたいていこのどちらかを要求するものだ。たとえば、「わたしはスポーツが好きだ。」―この文には「たとえば」がふさわしい。
わたしはスポーツが好きだ。たとえば、サッカーのテレビ中継は見逃さない。
また、「わたしは檸檬が好きだ。」―この文には「なぜなら」に向いている。
わたしは檸檬が好きだ。なぜなら、あの色がすばらしい。また、あの紡錘形の恰好も気持ちいい。
以上のような簡単な例でも文をつなげて展開できる。一般に接続語は使わないほうがいいというのが文章論の定説である。たしかに、「そして」「それから」といった接続語では表面的なできごとを追うだけになりがちである。しかし、「なぜなら」「たとえば」は、書き手の考えを深めるきっかけになる。文章を書くことは考えることである。もしも、清書の段階で気になったら削ればいいのである。