とうとう2チャンネルで話題にされた。わたしが、ケロログの「
Blog表現よみ作品集」で茨木のり子らの詩のよみを公開しているということについてである。
わたしが著作権の切れてない作品について録音をすることの原則的な考えについてはすでに「
テキストの引用と著作権」に書いた。原則的には詩のよみにおいても考えは変わっていない。つまり、その詩の掲載ないしは引用されたテキストを表示することによって、一般的な著作の引用と同様の原則でよみたいのである。
ここで問題になるのは、著作での引用と声による音声の公開のちがいであろう。どちらも言語による表現の引用であることにはかわらない。だが、音声というものが特別に問題になるのは、これが戯曲や歌詞などのように、声にすること自体が目的であるジャンルについてである。だから、戯曲には上演権の確認があり、歌詞には著作権がつきものとなる。
しかし、文学作品、小説や一般の詩については、声に出すことが、その作品の価値の実現となるわけではない。多くの場合、黙読をされてきたわけである。だから、このようなジャンルの作品について、戯曲や歌詞のように音声化すること自体にすぐさま著作権の承認というのは、日本の習慣にはなじまない気がするのである。論文での詩や小説の引用が問題なく許されて、声による表現が許されないというのはヘンである。
新しい著作の場合は多くは出版社と著者に著作権があるものが多い。わたしが声によって紹介することは、論文などによる紹介に準ずるものであり、出版物の販売に貢献し、その結果、著者と出版社にも利益を与えることになると思うのである。