伝達の声と表現の声のちがいをわたしは以前から、遠い声と近い声というふうに呼び分けてきた。竹内敏晴『日本語のレッスン』(1998講談社新書)にメルロ=ポンティが区別した二種類のことばが引用されている。これが、わたしの区別とよく似ていた。
第一は、「はじめて言表のかたちをとった真正な言葉」で、「はじめて語を発した幼児とか、はじめて自分の気持ちを発見した恋する人とかの言葉」、「語りはじめた最初の人間の言葉」のようだという。第二が、「二次的な表現、言葉についての言葉」で、日常生活の中で働く、制度化された言葉で、「表現の決定的な一歩がすでに完了してしまった言葉」だという。
竹内氏はこの第一のことばの訓練を示すために本を書いたのだという。わたしの考える表現よみとは、すでに書かれたテキストを音声化することによって、第二のはたらきとして、他者への伝達のみを果たしがちななことばを、はじめて発するかのような表現に接近させるものである。
一般の朗読の声は遠くに届かせようとする声であるが、表現よみの声はよみ手と聞き手とを近くに接近させる声である。竹内氏のことばを借りるなら、詩をよむ「今」において新たな表現を生みだすよみなのである。