音声Blogの
ケロログのチェーホフ「かもめ」の一人ドラマリーディングをアップしたら、「どんな風に読んでいるのか」と人に聞かれた。「戯曲のほとんど全部をひとりでよむのだ」と言ったら、「もう少し、くわしく教えてくれ」と言われたので、メモ的に書いておくことにする。(例は、チェーホフ(堀江新二訳)『かもめ』2002
群像社)
(1)タイトルのよみ方は「○○作(作者)、○○(題名)、○○幕」とする。堂々と客観的なよみ方にする。
(2)「登場人物」の紹介やと全体の設定に関することはよまない。
よまない例、舞台はソーリン家の領地。第3幕と第4幕の間に二年の月日が流れる。
(3)ト書きはセリフでは表現できないものはよむ。人物の行動についてはすべてよむ。ただし、人物の心情で声によって表現できることはよまない。アナウンサーが歌舞伎の舞台中継をするような客観的なよみ方で、小説の語り手のような主観をいれないほうがよい。
よむ例、二人去る、(花びらを毟(むし)りとりながら)……声で表現できない
よまない例、(興奮気味に)……声で表現できる
(4)人物の名前は最初の登場のときによむ。チェーホフの場合には、ふたりの人物の対話が多いので、相手が変わらない場合はよまない。よむ人物名には○をつけておくとよい。
例、○
メドウ゜ェジェーンコ どうしていつも黒い服なんですか?
○
マーシャ これ、人生の喪服。私、幸せじゃないから。
ひとりで戯曲をよむ場合には、連続してよめる時間は限られている。わたしの経験ではせいぜい20分くらいだ。というのは、小説のよみよりもはるかに高いテンションになるので体力的にもたないからだ。聞き手にとっても、耳だけで聞くことは精神的に疲れることだ。ひとりでドラマ全体をよむ場合には、視覚的に気分を変えることができないのでなおさらだ。
そう考えると、浄瑠璃が長い作品を20分くらいの場面に区切って、「○○の場」というかたちで上演することの意味もわかる。わたしも機会があればまた上演を経験して考えたいと思う。