先日、
『NHKアナウンサーのはなす きく よむ「豊かな日本語編」』(2006日本放送出版協会)を買いました。ラジオ第2放送番組の4月から9月までのテキストです。昨年までのものとちがった分厚さです。しかも、なんと巻頭から三分の二が「朗読」です。これまでにないことです。
「はじめに」で、
山根基世さんは、「このテキストが、他の多くのハウツー本と違うのは、「話しことば」の最前線で仕事をしている現役のアナウンサーが、自分自身の体験に基づいて書いている点です。」と述べてから、「最新の方法論」を伝えたいと述べています。ここ数年さかんな「朗読」をブームに終わらせずに、ステップアップさせるためのNHKの責任表明と思われます。
「朗読」の研究についてのモチーフは、ベテランアナウンサーの次のような反省からうかがわれます。
「発音・発声はそれなりにしっかりしていて正確には読んでいるのですが、何か違う……どこかニュースを聞いているような感じで、作品の内容や雰囲気が伝わらない……」(36頁・
三宅民夫)
「私が朗読・ナレーションを本格的に始めたのは、入局して十年が経ったころです。(中略)今聞き返すと、コメントを「読んで」いる回が多いのです。言い換えると、文字を音声化しているだけ。忸怩たる思いです。」(90頁・
曽田孝)
そこで、「朗読」の基本が問題になります。アナウンスやナレーションは「伝達」であるのに対して、「朗読」は理解のための読み方なのです。アナウンサーの役割は伝達ですが、朗読の場合には、読み手自身の理解が基本となります。
新人女性アナウンサーは、「意味をわかって、意味どおりに読む」ことの大切さを述べています。そして、「単なる文字の音声化」や「意味を無視して〝棒読み〟」になる危険を指摘しています。(9頁・
久保田祐佳)
また、新人男性アナウンサーも、理解の大切さを次のように述べます。
「声を出して読む。読んで伝える。そのときにいちばん大切なのは内容を理解することです。一つひとつの文の意味はもちろん、文章全体を通して作者が伝えたいメッセージは何か、それをわかることが読んで伝える第一歩なのです。」(17頁・
宮崎大地)
それでは、「朗読」が伝達でなければ何になるのでしょうか。芸術表現としての「音楽」にたとえられます。
「声に出して読むことは、歌を唄うことと同じだと思います。歌のように「声に出して読むこと」も、作者の意味を理解したうえで、どこで息継ぎをして、どこで高い声や低い声を使い分けるかが求められます。」(23頁・
宮崎大地)
「私は、「朗読は音楽の演奏に似ている」と思っています。」「同じ楽譜を弾いているのに、演奏者によって、全然違う音楽になります。」「朗読も、作家が書いた文章を音声化していく作業です。その作品世界が音として表現され、聞く人をいざないます。読み手によって、同じ作品でも表現されるものが違ってきます。」(155-156頁・
阿部陽子)
それでは、音楽の楽譜にあたる文学作品のテキストをどう読むのでしょうか。多くの場合、「朗読」されるのは小説や詩です。それは、アナウンスやナレーションの原稿の文章とはどこがちがうのでしょうか。
ベテランの和田源二アナウンサーは、文学作品の代表である小説には「語り口」としての文体があると述べています。
「小説には、物語を運んでいく存在としての「語り手」が存在します。」「人間の声というのは必ず「誰か」の声なのです。その「誰か」が誰なのかを考えたうえで読まないと、「誰のものでもない声」になってしまいます。」「作品がどんな文体で書かれているのかをつかみ、その文体の特徴をとらえた朗読でありたい」(127頁・
和田源二)
「朗読」が表現であるならば人に聴いてもらうことになります。そこに至るまでの練習はどのようしたらよいかについても述べられています。これも、人に「伝える」ことを先行させる前に、自分自身の理解を高めるための方法です。
「本格的に声を出す前に、まず、小声で読んでみてください。自分だけに聞こえるようにして内容を確認するのです。いきなり大きな声で読み始めると、自分の声が邪魔をして作者の意図、文章の意味など大切な要素を見失ってしまいがちです。」(72頁・
谷地健吾)
「何度も声に出して読んでしまうと、意味を理解しようということより、上手に読めているか、間違えないように読めているか、そんなことばかりに気をとられてしまう」「ただ文字を目で追うのではなく、意味をとらえようと意識しながら黙読していると、頭の中で音が響いてくるようになりました。」(124頁・
上田早苗)
以上、このテキストには、これまでのNHKの朗読には見られない的確な指摘がありました。これらの原則を守って発展させれば、「朗読」は、たんなる「文字の音声化」でもなく、アナウンスでもなく、ナレーションでもない表現としての文学作品のよみとなるでしょう。ただし、今後の課題として知りたいいくつかの問題がありましたので、下記に項目としてあげておきます。
(1)アクセント、イントネーション、プロミネンスなどのそれぞれの音声技術は、作品の表現においてどのように生かされるのか。(とくに、プロミネンスについて、まったく触れられていなかった)
(2)作品の「語り手」や文体のちがいはどのような種類があるのか。また、そのちがいは声でどのように表現されるのか。
(3)日本語には高低のアクセントのほかに強弱のアクセントもはたらいている。この二つの原理と技術のちがいが作品の表現においてどのようなちがいを生みだすのか。
(4)アナウンスのための声と文学作品の表現のための声では、根本的な発声法にちがいがあるのかどうか。文学作品の表現のためには、どのような発声の訓練が必要なのか。