今回は
こがわ法律事務所webnotesの「
朗読と著作権(終)」へのコメントである。(こがわ氏の解釈をさらにわたしなりに解釈している。ここに示した見解の責任はすべてわたしにある)
●表現としての朗読の価値 こがわ氏は朗読というものの価値を次のように述べている。
(1)巧みな表現による朗読作品はそれ自体芸術的な価値がある。
(2)原著作物に新しい生命を吹き込み、原著作物への興味をよびおこす。
この意見に、わたしも大いに同感である。
こがわ氏の最終的な結論はこうである。
「原著者の口述権、上演権を侵害しない範囲でなされた朗読であるかぎり、その録音を被営利的目的で公開することは原著者の公衆送信権を侵害するものにならない。」
●インターネットでの「朗読」運動 はたして、新しい著作などがよまれた録音がインターネットにさまざまなかたちでアップされることで、原著作物が売れなくなるだろうか。おもしろければ、聞き手はもとの本を読んでみたいという気になるだろう。そうならないなら、著作そのものの責任であろう。また、わざわざつまらないところをよみあげて悪意の宣伝をすることまで考えなくてもよいだろう。デパートの試食コーナーでさまざま食べ物を試食させるのと同じことだ。
また、新しい書物を含めて「朗読」を自由に公開するようになれば、読書運動というものが変わるだろう。今は夏休みの最中である。各出版社が競って「推薦図書」をならべて「○○の100冊」といった企画をする。また、学校では読書感想文の宿題も出る。そこに「朗読」による感想公開という運動を加えたらどうか。参加者が持ち寄った本の気に入ったところをよむのだ。それぞれがインターネットで公開するのもいい。
世は「声に出してよむ……」といったブームである。その一方で、若い世代の読書ばなれが問題になっている。声に出したよみがどんなものになるのか、個人の世界にとどめておくのではなく、よみかたで感動や感想を表現するのだ。朗読のネット公開はすぐれた方法である。そんなとき、ネックになっているのは、「朗読」についての法律の古い解釈である。新しい解釈によって朗読の公開が自由になれば、もっともっと声による読書が広まるし、朗読の質も高まるであろう。そうして、若い世代に不足している「読み・書き」「話し・聞き」というコトバの能力を育てる力にもなることだろう。